250bpm
僕は一体、何を求めて
いたのだろう。季節はめぐり、日一日と、変化を遂げているはずなのだけど。とても僕の目では追えはしない。きっともう、取り返しのつ
かなくなったとき、僕は地べたに額を擦り付ける、そんな予感。そうしたからといって、別にどうなるという訳でもない。わかってる。ただ、僕が願うのは、君
が息絶えたという事実の中で、グラスの中でほんの一片の氷程でもいい。君の隣に僕がいたという事を、忘れないでもらえさえすれば。どれだけ。
彼と過ごした時間は、1年とほんの少しだった。僕
は彼
をどうしたかったのだろう。僕自身の知識をと人に教えることは全く別の能力だ。難しい。
た
だ、僕をすがってきてくれるナランチャ。それだけでよかったのに、僕は決して、満足するという事がなかった。衝動のままに、彼を拳で打ち据えた。もう決し
て僕から離れようなんて気を起こさないように。いつだって彼が僕から離れようとしているんじゃないかと言う焦燥感から逃れる事ができなかった。果てること
のない自分からの脱獄の試み。別にそんなことしなくたって、もっとちゃんと友達らしく振舞えれば、理不尽に彼を傷つけようなんて思わなかった。どんな事
をしても、ナランチャは僕のそばにいてくれる。そんな無条件の確信が欲しかった。
彼に対して優位に立つことで、僕は自分を確保す
る。汚
いのは重々承知だ。僕が望んだのは、たった一つ。おこがましくすらある。僕は彼がどこまでついてきてくれるか、常に無意識の天秤にかけていた。
ブチャラティより、アバッキオより、誰より、僕
を…僕
がいなきゃ駄目だと思ってもらいたかった。穏やかな目も、何も言わない唇も、力を抜いた拳も、僕にとっては果てし無く遠い。
彼の傍にいたい。
僕の側にだけいてくれよ。
他の奴らが一体、なんだっていうんだ。
僕はこんなに、ナランチャを必要としているのに。
彼はいつだってどこでだって、気分次第。
予定なんかありやしない。
気紛れなんかじゃなくて、僕の名前を呼んでほし
い。
ただそれだけ。
「フーゴ…」
ナランチャは半開きの扉にもたれかかっていた。左
肩で
全身を支えて、右肩を抑えていた。唇のフチの緑色と赤紫の内出血。頭を支えることもできずに、うなだれたまま。髪の隙間から僅かにのぞくぎらついた眼。も
し
かして何かをあきらめようとしている?
「ナランチャ」
僕は両足に意識を集中させて、いつもと寸分変わら
ぬ足
運びをした。はずだった。玄関先の彼まで後1メートルちょっと。バランスを崩し倒れこむナランチャを、両の腕でどうにか支えた。
「フーゴ、俺…」
僕の左肩に額を寄せるナランチャ。
彼は僕よりも背も高くて体つきだってしっかりして
る。
両腕を背中に回し、そっと押さえる。しばらく、
スーツ
越しに彼の体温と湿り気を受け止める。ナランチャの呼吸音が段々と穏かになり、心拍数もいつもと変わらない程度になった。
何があったかなんて実際どうでもいい。
何かがあっても、息をカラカラにしても、今ナラン
チャ
は僕の部屋に来たんだ。それだけでいい。ナランチャをソファに座らせて、僕は台所に行ってティーパックだけどカモミールティーを用意した。
ガラスのテーブル。無機質な音。
空調以外には何の物音もしない。
脱ぎ散らかした服。半開きのまま釣り下がったカー
テ
ン。クローゼットすら、僅かに開いたまま。これが僕の、個室。呼吸。
僕はソファにすら座れなかった。まして床に座り込
むこ
ともできず、ただ立っていた。ソファにもたれかかり、脱力しきった彼。背もたれに両腕を掛け、どこかも分からない一点を見つめている。一体何がどうしたと
いうのだろう。
「冷めますよ」
「…ああ」
指先でカップをつまみ、唇をカップに寄せる、が、
うま
く吸い寄せることもできずに、液体は顎をつたい、彼の服を濡らす。
どう、彼の名前を呼べばいいのだろう。
訳も分からないまま立ちすくむ。大きく2、3歩進
み、
僕のスーツでやや乱暴にぬぐう。
「悪ぃ」
「うん…」
「なんか今日俺、ダメだわ」
「そう」
「…」
「疲れてるんだろ?」
「わかんねえ」
「風呂はいいから、もう寝てしまった方がいいだ
ろ」
「かもな」
「僕は今日だけ床で寝ます。こっちを使えばいい」
「ああ…」
靴を履いたまま、ベッドに入ろうとするナラン
チャ。別
に構いやしない。5分も立たずに彼は眠りこけた。ネクタイがやたら窮屈で、相変わらず、僕は自分が分からない。把握できない。理解なんかできる筈もない。
明かりは寝台のランプだけだ。
僕は机に向かって、両手で額を押さえつける。
一体僕は何度脱獄を試みただろう。抜け出したと
思っ
たって、いつだって、真新しいがらんどうの真っ只中だ。どれだけ諦めれば、僕は彼に近付けるのだろう。
僕たちは、結局終わりから始まった関係なんだ。決
して
終わることはない荒野で、どこまでももがき続けるんだ。
Date: 2005/10/30(日)
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